生き死に映画

『湯を沸かすほどの熱い愛』という映画を観ました。そしたらなんかファファファっと浮かんできたんだけど、今年入ってから生きるだの死ぬだの随分ガラじゃない映画をよく観てたみたいで、邦画ばかり三本も、中々ないことだからまとめておきます。


まず『湯を沸かすほどの』が今、こんなに絶賛されてることに対して個人的には結構ヘコんでしまったという話。
あらすじとしては余命数ヶ月の肝っ玉母ちゃんが世直しよろしくウジウジ人間たちを改心させていくという感じで、よくあるような話なんだけど、まあよくもこんなに詰め込めたなあと感心してしまうくらい「良い話」のギフトセットで、民放連ドラ11話を2時間にまとめればこうなるんだろうかというような、盛り沢山でお送りされました。でも展開は大体全部一緒で生命賛歌なんだよね。

 

メロドラマほど大袈裟ではないけれど、なんか死んじゃいそうな人、物理的ではなく生きてるけど死んじゃいそうな人、あるいは死んじゃってるような人たちに向かって母ちゃん叱咤激励、「逃げるな」「目標を定めて生きるんだ」と生の方へグイとエネルギーを傾けさせる。それは逃げても逃げても逃げきれない悲しみとか死を抱えこんでしまった自分自身への鼓舞でもあり、それでも生きていくために必要な知恵でもある。


しかし、しかしさ、ここに物凄い暴力を感じる。多分世界中から歓迎されていて、いつでも大手を振って歩いてる「生きる」っていう暴力。めちゃめちゃにイジメられてる子に逃げるなと言うこと、目標のない人間を最低と切り捨てること、過酷な人生にYESと言い続けることはいつでも「正しい」のか。死から逃れられない、からこそ、僕らは「生きて」それと対峙しなければならないというのは開き直りじゃないのか。死から逃れられない、からこそ、死と手を取り合って生きるんじゃないのか。


すぐに生をヒーロー、死をヒールにするのはエンタメの悪い癖で、生死って実際もっとフラットだ。自分以外のものなんだから、例えば自殺だってそれを決意するまでのプロセスは全部自分が決めているわけじゃない。


さて、『湯』が言わば人間が死ぬまでの物語であるのに対して、負けず劣らず反響を呼んだ『永い言い訳』は唐突に訪れる妻の事故死からスタートする、つまり人間が死んだ後の物語だ。しかし、有名作家の夫、津村啓こと衣笠幸夫はその悲しみが実感できなくて、パブリックイメージとのギャップをうまく演じながら過ごしてたんだけど、妻と一緒に亡くなった女友達の遺族、父一人子二人との交流を経て徐々に失ったものに気付いていくというのがあらすじ。なんだこれも生命賛歌か〜と思ったらそんな優しい話じゃないのがこの映画の肝。


『湯』のラストシーンでは「死んだ人間には二度と会えない」という「真実」のセリフが印象的なんだけれども、『永い言い訳』では対照的に、生きている間は会えなかった人間に、死んだ後少しずつ、何回も繰り返し出会うということが主題化されている。いやでも死んでるから物理的にもう会えないじゃんというリアリストのシケたツッコミにもきちんと対応しているのがこの作品の優れたところで、「会えるけど、会えない」ということが殊更に強調されることに意味がある。


生きてる間にもっと隣人を愛し、慈しもうという啓蒙ではなく、いつだって不徹底でしかいられない、事後的にしか動けない僕らの弱さを描くことで見えるのは「会えるけど、会えない」のはつらく悲しく、少し気まずいし、虚しいということ。だけどそれは決して打倒すべきヒールなんかじゃなくて、自分の生につきまとい、随所で現れては虚無感をもたらすけれど、確実に付き合っていかなければならない事実である。


人間は弱い。この世界にいる全員が雑魚キャラ、モブ戦闘員A、エキストラでしかない。だから逃げてもいい、逃げないと生き残れないし、目標のない旅だって必要だろう。それでもいいじゃん。どっちも僕らのものじゃないのに生でもって死を制すのはもうやめにしよう。


ところで、『湯』では銭湯経営夫婦の夫が蒸発、探偵雇って見つけるっていうなんかすごーい見覚えのある展開が冒頭にくるんだけど、『退屈な日々にさようならを』も一人の人間の蒸発、失踪を軸にした話でした。いくつかの物語が交錯しながら展開していき、あらすじはすごーい説明し辛いので、是非観て確認して頂きたいんだけど、キャッチフレーズは「いなくなるってことは、ここにいたってこと」で、was hereの感覚、つまり、行方不明になった人間の生死は分からないということ。いなくなった人は、死んでなくて、死んだって知るまでは生き続ける、たとえ当人が死んでいても「ここにいた」という事実だけが持続し続ける。


ここでもやっぱり生と死は表と裏、「いた」「いない」、片方がイニシアチブをとることのできない曖昧な関係のまま描かれていて、このバランスが生死の表象には欠かせないんじゃなかろうか。


ちなみに『退屈な』は渋谷アップリンク、『永い言い訳』はキネカ大森、『湯』は早稲田松竹でそれぞれ公開中、後ろ二つはツタヤにも入り立て、GW最終日、チェケラ。